かくれぬらり

2.5次元の妄想。情報やレポはありません。感想と散文です。

剛健とふまけんと

今更ですがセクゾの「ふまけん」に少し恋をしています。

きっかけは安易に、twitterに流れてきたあの、自撮りの映像なんですけど…

2人が2人でいるときの、どこか「幸せだけど困る」と言うような表情に、「好きかも…」と思ってしまいました。

平成最強のシンメだとは存じていたのですが、彼らに少し恋する中で、「ふまけん」と昭和最強のシンメ、「剛健」の似ているところと違いは何なのだろう…と考えています。

 

 

 

私のジャニーズの根底には2TOP(木村中居)がいるので、剛健を知った時は、はしゃぎ方やふるまいが「昔の2TOPのようだ」と感じた上で「どうして剛健は ずっとこの変わらぬ自然体な関係でいられたのだろう」と思いましたが、ふまけんは「昔の2TOPのようだ」と感じた上で、「この達は関係性をグループの為 に変化させてしまいそうだな…」と感じます。

 

 

 

 

非常にあれな思考なのですが、シンメにおいて私がぐっとくる部分って、「悲劇的」な要素なのです。「この2人は出会わない方が幸せだったのではないだろうか…」っていう要素をびしばし感じるシンメが好きなのです。それに気付いたのは、やはり剛健というシンメを知ってからでした。

 全く詳しくないながらも、どことなく「ふまけん」にも少し、「悲劇」を感じます。

 

まず、この「悲劇」を感じる要素の1つに「ビジネスシンメ」である(と、自分たちが考えている)こと。があげられるかと思います。

アイドルの卵として出会い、互いの存在によって互いのアイドル性が高められることを感じ、そして共にアイドルとして仕事をする(生きて行く)ことになり、離れることが出来なくなるわけです。プライベートで出会ったとしたら絶対に友達にならなかったと言う2人が、どうしても離れられなくなってしまい、誰よりも長い時間を共有する事になる、って、すごい「悲劇」ですよね。

で、ビジネスシンメで、彼ら自身もそれを公言したりもするのに、性格も考え方も確かに全く違いそうなのに、冒頭でも書きましたけど、2人でいるときに表情が明確に幸せそうなのです。

幸せそうで、困っているように見える。

 

「ビジネス」なのに、幸せそう。そこに、なんか、「悲劇」を感じる。

 

 

そして、現在の「ふまけん」に対しては、なんだか少し、かわいそうだなと思ってしまいます。

まず、周りの反応。「あぁ、これは嫌になるよなぁ」…と、思ってしまいます。笑

少し話すだけで、触れ合うだけで、周りから悲鳴と歓声がおこる。「自分たちはなんなのだ」と思うだろうし、自分たちが意思をもって仲良くしているのか、周りの期待によって仲良くしているのかわけがわからなく瞬間があるのではないかと思います。

そして、グループの「上2人」である責任も大変なものだろうなと感じます。下の子達に責任が生じるし、引っ張っていかなければいけないプレッシャーが半端ではなさそうです。

 

 

このグループの「上2人」であることが、剛健との明確な違いなのではないかと思います。剛健がもしもV6の年下グループではなくグループの上2人だったら、きっと今のような関係は続いていなかっただろうと思います。

 

 

 

でも、剛健も2人でくくられる事を嫌がっていた時期もあると聞くけれど、彼らは今でも現在進行形で「剛健」を貫いています。お互いの舞台を未だに見に行き、誕生日を祝い合い、歌番組では私語をしている。これはテレビで見ているだけではわからないだろうけど、特にコンサートにおいては彼らは明確に「剛健」であることを意識して行動しています。もう「剛健コンビ」であることは、彼らのキャリアとして必要ないような段階になっても、彼らはそれを大事にしているし、ビジネスだかなんだかわけのわからないような「剛健」を貫いている。

 

悲劇だなんだと書きましたが、今の剛健くらいの年齢までそれを貫く事ができたなら、それはもう全然悲劇ではないと思うのです。それこそ、とても幸せなこと。

 

そんなわけで今後もぜひ「ふまけん」には茨のシンメ道を突き進んでほしいとおもったのでした。考えすぎる事なく、思うがままの。