かくれぬらり

2.5次元の妄想。情報やレポはありません。感想と散文です。

名字で呼び出す人達

ジャニーズグループにおいて、年齢を重ねるにつれて名前から名字で呼び合いだす現象は切ないという話

 

 

 

「年齢を重ねるにつれて名前から名字で呼び合いだす現象」の切なさを一番最初に教えてくれたのは中居君だった。

 

私が物心付いた頃からテレビでその姿を見ない日はないSMAP

 

中居君は、年下組をずっと「慎吾、剛、吾郎ちゃん」と名前で呼んでいた。それが「香取さん、草薙さん、稲垣さん」と、名字で呼ぶようになったのはいつからだっただろうか。私はそれがとても嫌だった。

 

中居君はラジオで「年齢とともに、対外的な印象を考えて意識的に呼び方名前から名字に変えた。5人だけの時とか、ファンの人の前(コンサート)では今まで通り名前で呼ぶ」という趣旨の事を言っていた。

 でも私は中居君の元々のメンバーの呼び方が好きだったし、そんな常識的な事言わないでほしかった。彼らが10代の頃から積み上げてきた距離感を急に否定されたような気がしてしまった。

 

この「嫌な気持ち」をよくよく考えたのだが、何が一番嫌なのかというと、自分自身(ファン)に対しても距離を置かれたような気持ちになったからではないだろうか。と思っている。

まるで、ファンに対しても、今まで名前で呼んでくれていたのに、名字で呼ぶようになってしまったような、そんな心の壁を感じてしまったのだ。

セクゾンさんも新曲「よびすて」で「君の名前よびすてで呼んでみた 一瞬で 世界が変わったよ」と歌っているように、呼び方は世界を変える力があると思う。「名前から名字に変える」のって、この「よびすて」のシチュエーションの逆だからね!

 

そんなわけで、私はジャニーズグループにおいて、年齢を重ねるにつれて名前から名字で呼び合いだす現象は好きではない。

 

…とはいえその発想はなんとなく「中居君らしい」ものであり、「うっかり名前で呼んじゃったとき萌え」という新しいジャンルを提供してくれたものだ。

だがしかし中居君は鉄の心をもっているので、知る限りではこの数年間で1度もその萌えが提供されたことは無い。

 

 

そして、この現象は他のグループでもおきている。

 

 

例えばV6の岡田君。

(グループを超えるけども)「嵐にしやがれ」のゲスト回では、「木更津キャッツアイ」で共演した櫻井君を、「バンビ」という役名から「櫻井くん」と名字で呼ぶようにした理由を訪ねられ、岡田君は「もう若いままの櫻井ではないから」と答えていた。翔君は、少し寂しいような、複雑そうな顔をしていた。

 

 V6の剛健コンビも、「三宅」「森田」と名字でたまに呼び合い、ファンを悲しませているようである。でもこれは正直中居君に比べると全然脇が甘く、ぼろぼろ名前で呼びあっている。

 

そしてセクゾンちゃんのふまけんコンビも、「対外的な面と、フルネームで知ってもらおうと思って」とかいうそれらしい理由で下の名前呼びを封印しているらしい。けど、それ、やっぱ、まだ早いと思う。もう少しシンメとして売り出してからでよくない?

 

 

どうしてこんなこと急に考えたのかというと、

 

先日のSONGSのKinkiゲスト回にて、Kinkiの2人が「こぉいちが」「つよしくんが」と20年間変わらずに呼び合う姿を見まして、

 

 

Kinkiって、同じ名字だから、どうしても名前でしか呼び合えないの最高だな…

 

 

 

と思ったからなのでした。

同じ名字って、やっぱりdestiny…