かくれぬらり

2.5次元の妄想。情報やレポはありません。感想と散文です。

毒があるから輝ける

嵐さんのbet de 嵐をみる。
いいなあ嵐ファンの皆様は、5人でわいわいしているのが通常営業なんて…大野さんはやはり天才で、神経衰弱をする翔さんが男前すぎる。


私アイドルというものは、「毒」があるから輝くんだと思うんです。(あ、これは私の知っているSMAP以降のアイドルです。聖子ちゃんは毒がなくても輝くのかもしれない)


例えばAKBは、「運営」と呼ばれる組織がすべての「毒」を背負っていて、「総選挙」とか「組閣」とかえげつないイベントを考える。そんな「大人達の与える試練に苦しみながらも、夢のためにがんばっている」という姿が、彼女達を輝かせているんですよね。結果としては「AKBに入ることが夢」の子ばかりになってしまって破綻しかかっていますが。


もう一つ、「背負っているもの」も大きいほど輝くと思うんです。例えばKinkiや剛健は90年代という世代を背負っているし、「青春時代」とか「日常生活」とか、AKBでいうと「恋愛禁止」とか、選抜とかね。彼ら自身様々なものを犠牲にして、私たちにエンターテイメントを届けてくれている上に、いつも最高の笑顔で過ごしているわけで、その姿に「私も明日からがんばろう」と思う訳です。
後はそこにいない人たちの影とかね。アイドルになりたいう夢を抱いて、諦めていった数限りない人たちの「夢」をたくされて彼らは今ステージに立っているわけです。そんなたくさんの人たちの影もまた彼らの輝きになっていると思います。


更に言うと、私はその「背負っているもの」を乗り越えたり、消化する姿に心動かされます。誰もが光一さんや健君みたいな生まれついてのアイドルではないので、アイドルとして生きるのって色々葛藤があるだろうけれど、押しつぶされないでほしい。背負っているものをバネにしてほしい。これはアイドルに限らずすべての人は「自分が本当にやりたいこと」と「自分が求められていること」を一致させるのって難しいと思うんですよね。だからこそそれが一致している人は幸せだと思うし、実現している人達って本当にすごいなと思います。



それでは嵐が背負っているものは何なのかと考えると「黄金期のジュニア」と「翔さんの人生」、だと思ってまして。翔さんって嵐になってなかった場合、エリートサラリーマン超リア充人生を送っていたと思うんですよね、それを捨てるのってかなりの覚悟だったと思うんです。でも翔さんは嵐を選んでくれて、そして嵐として後悔のない人生を送ろうとしている。でも翔さんは大学に行くことは諦めなかったんですよね、これもこれでかなりの覚悟だったと思うんです。なので結果として大学に行ったことを活かしてキャスターをやりつつ、嵐と楽しそうに神経衰弱している姿を見ると、なんか、素敵だなと思います。


翔さんて、中居君もだけど、やってることが良い方向に向かう傾向があるタイプだなと思います。それを人は運が良いと表現するのかもしれないけれど、決してそうではなく…「今自分がいる場所と、周りの人達」を大切にすることができる人達だから、その姿勢が良いものを惹きつけてるんだろうなーと思います。2人共才能豊かだし、アイドルじゃなくても生きていけたと思うんですけど、比較的アイドルであることに反抗的な態度を取ってきいてないですよね。それは他の「もっと自分が輝けるかもしれない世界」を探すのではなく、今いる自分の世界で腹をくくって生きていけるタイプだからだと思います。究極に言うと、中居君と翔さんは、今のメンバーじゃないグループに所属していても、きっとそのグループを愛し、スマや嵐のような人気グループにのしあがることは出来たと思います。でも大野君や木村さんは今のメンバーじゃないとグループを辞めていたかもしれないと思う。


剛健も、もしかしたら一緒にいることでそれぞれの「可能性」を狭めたかもしれないけれど、2人は決してその選択を後悔していないであろうところに羨望を感じるのかもしれません。だからこそ2人が今でもコンで一緒に笑いながら踊っているのをみると、奇跡的なものを感じる。