かくれぬらり

2.5次元の妄想。情報やレポはありません。感想と散文です。

世界が君に恋してる

三宅健君の美しさがとどまるところを知らない。

ファンじゃない人も、漫画家さんも、著名な方々も、そのビジュアルに驚嘆しているtweetをちらほら見かける。

 

2013年から、ゆるく応援している。ずっとずっとかわいいけれど、2015年は本当に素敵だった。「Wait for you」初披露のときも、24時間テレビで27時間起きていたときも、ストンプに取り組むときも、学校へ行こうで涙したときも、コンサート会場で見たときも、WOWOWの高画質な映像でも、露出の度に肌も髪も表情もパフォーマンスもどんどんかっこよく、美しくなっていっていく。

でも、そのWOWOWの映像よりも、FNS歌謡祭の健君は更にキラキラしていた。

こんなんで紅白どうなってしまうのか、恐ろしい。

 

 

FNS歌謡祭を見て改めて思ったけれど、V6って、どこか儚い雰囲気のあるグループだと思う。

彼ら自身も自らを「ビールの泡みたいに消えてなくなる事もできたのに」と歌うほど。

 

20周年の健君のビジュアルも儚い美しさだけれど、健君だけじゃなく、16日のFNS歌謡祭で「Wait for You」を踊る6人は、全員とてつもなく洗練されて、かっこよくて、そして儚かった。

大好きな歌を、大好きな6人が歌っている。とても幸せな映像なのに、どうしてこんなに儚いんだろう。

 

理由の1つはそろそろ20周年が終わるからだ。「Wait for You」は20周年ソングだから、紅白で披露しなければもしかしたら16日で最後のパフォーマンスかもしれないのだ。

 20周年、とても楽しかった。何度も何度も感動した。

終わってしまうのは寂しいけれど、なんとなく6人はもう前を向いているのだろうなーと思う。 

 

 また6人はそれぞれの旅に出て、パワーアップするのだろう。でも、また来年も何かV6として素敵な活躍をしてくれたらなと願わずにはいられない。

 

 

ここから先は三宅健君ファンの戯言だと思っていただきたい(いつもそうだけど)

 

V6の20周年、見ていてとても幸せになった。

その幸せの中心には、健君がいた。

この1年、V6のセンターは健君だった。これはもちろん、「私にとっては」だ。

もちろん剛君ファンの人にとっては、剛君がゆるぎないセンターだっただろうし、皆輝いていた。そう、皆センターだったよ!でも私には健君がセンターだった。そう見えたことが幸せだった。

 

 

もともと健君は「V6の0番」だった。ジャニーさんに選ばれし、1番始めのV6。でも、健君は1番の座を剛君にゆずった。剛君が1番で、自分は2番、それは健君にとってゆるぎないことで、それからずーっと健君は、センターに立とうとはしなかった。でも、20周年は少し違った気がする。ほどよく肩の力が抜けて、テレビでも健君の笑顔をたくさん見れたような気がした。カメラに抜かれることや、発言の機会も多かった。私にとって、今年健君はV6のセンターにいたように見えた。

 

 

剛君がいなければ、V6をやりたくないとジャニーさんに言い放ったデビュー秘話を聞いた時からぼんやりと考えていたのだけど、実は剛君が「V6のセンターは健君」だと考えていたら面白いなと思う。更に言えば岡田君も。

 

剛君はやはりV6にとっての要だ。でも、健君も、当たり前だけど、精神的な意味でV6の重要な部分を担っていると思う。

 

2人ともその役目に対して自覚的な部分もあれば、とても無自覚なところもある。

 

でも、今年「V6のセンターの健君」がいたV6は、私が見たいV6の理想型だったなと思う。