かくれぬらり

2.5次元の妄想。情報やレポはありません。感想と散文です。

デビュー秘話について 3

今回はかなり主観です。
色々書いてますが結局のところ、OMG コンで「ガチャガチャ」をする剛健が、バードマンツアーの頃の木村さん中居さんがオリスマを一緒に楽しそうに歌う感じを彷彿とさせまして。羨ましくなると同時に、どうして剛健はこの関係を続けられたんだろうと思い色々考えた結果です。


私は剛健の性格が全くわからない。剛君のバラエティで見せるはっちゃけ方や、インタビューにおけるしっかりした態度と、プライベートでの人間嫌いっぽいとこがどうも一致しないし。健君もメンバーへの親愛の態度や「人たらし」の称号と、人見知りで繊細そうな部分が一致しない。

ほとんど身内のジェイフレやカウコンでも、2人で固まっちゃって他の人達と交流しようとしてないし。その閉じられた感じとV6メンバーへの懐き方のギャップも不思議だと思う。


そしてこのデビュー秘話をふまえた上で、Kinkiの2人の出会いは奇跡をかんじるのですが、剛健の出会いはどこか破滅的なものを感じます。



剛健ってKinki以上に後輩や先輩から名前があがることが少ない。そこまで交流を遮断している理由の1つは、2人にはお互いがいて、そしてV6のメンバーがいるからなんですよね。13歳と14歳という若いタイミングで出会わなければ、もしくは同じグループになっていなければ、2人はもしかしたらもっと他人に開かれた人になっていたかもしれない。2人がもっと世間に開かれていたら、どんな芸能人生を送ったんだろうか?という「可能性」を感じることがあります。


これはおそらく彼らが少年だった頃、周りの大人も感じていたのではないでしょうか。コンビとして売り出していたのにはじめは別にデビューさせようとしていたこと、一緒にするとなると3人も保護者をつけ、さらには年下3人組でユニットを組ませる…と、剛健は周囲から徹底的に「2人組」で行動することを制限されています。デビュー前から彼らの依存的な関係性は特殊であり、はっきり言って、周りの大人や、もしかしたらトニセンのメンバーもその関係性は長くは続かないと思っていたのではないかと思います。


また、健君がジャニさんに「剛が入ると、1番になれない」と言われ、それでも剛君と同じグループにしてほしいと言ったというエピソードも考えさせられます。実はグループで踊っているときの健君の「引き」の姿勢に不思議さを感じることがあったので、この発言を聞いてとても納得しました。彼は剛君を抜かして自分が1番になるのではなく、2番手を選択したのですね。でもですね、私はジャニさんの天才的な勘というものは信じているので、彼の中で一度は「三宅健がセンター」のグループという構想ができていたということは、健君も「1番を目指すことのできる」器なんだと思うんです。でも健君は1番になる事を14歳にして放棄してしまったたわけです。



とはいえ2人は出会ってしまったわけだし、同じグループであることを勝ち取った。ジャニーズがシンメという組ませ方をするようになってから、その在り方を模索し、実験的なグループの組ませ方もさせてきていると思いますが、その走りである剛健は結果的にはかなり自然で、幸せな在り方をしているなと思います。

なぜ2人が自然な在り方をしているのだろう?というのは、もちろん本人たち以外にわかるわけもありません。ここから先は、私が短い期間ですが、2人の言動を読んだり聞いたりしてなんとなく思ったことです。ポイントは、お互いを称するときによく讃えあってている「自由さ」にある気がします。2人がお互いに讃えあっている自由さは、もしかしたらそれを手放したら、2人の仕事の幅は広がる部分なのかなと思います。で、おそらくすまやKinkiはある程度手放してきたところなんじゃないかと。つまり他人から見ると歯がゆく感じる部分なのかもしれない。でも、その自由さこそが2人が共通して譲らないところで、お互いに諦めなかったところで、今の関係性が続けられている理由の一つのかなと。もちろんすまやKinkiは別のところで絶対に手放さない信念があると思いますが。

後は2人を語る上でかかせないのが「ダンス」で、お互いのダンスがお互いの触媒というか、同じグループじゃなかったら絶対に2人共今まで、こんなにも踊り続けてなかったんじゃないかなと思います。

ダンスと言えば森田さんだし、私はV6に興味を持ってはじめに見たコンサートのDVDで、森田さんがものすごく真摯にダンスをしていることに感銘を受けたのですが、それもすぐ隣で、自分とは違うベクトルで一生懸命踊る健君がいるからだと思うんです。剛君って本当にちょっとした移動の時ですら「ダンス」をしているんだけど、そんな剛君が構成から「浮かない」のってすごいことだと思うんですよね。
大きなこと言いますが、「ダンス」ってスポーツのように、人間にとって昔から続く理屈を超えたコミュニケーションの手段だと思うので。
そんな言葉のないコミュニケーションをずーっと真摯に一緒にやってきたということも、彼らの関係を支えてきたのではないのかなと思いました。